
十八歳で私は異世界転生者になりました。
野山に囲まれた埼玉の田舎から、東京都港区という異世界へ転生しました。しかも、住むことになったのは、首相官邸まで徒歩三分の古くて小さいビルの一室です。部屋の広さは三畳で、壁には誰かが拳で開けた穴がありました。外はどこまでも続くビル群、止むことのない車の騒音、50mごとにあるコンビニとスタバ。都内の専門学校に通うために新聞奨学生となり、住み込みで働くことになった場所が、そんな東京都港区の新聞店のビルでした。そこでの二年間の学生生活は、午前三時に起きて朝刊配達、朝九時から学校、午後三時には夕刊配達、それから学校の課題をして夜九時頃に就寝する、という日々でした。
ゲームや映画のような世界を作ってみたい。小説ならそれが一人でできる。そう考えてライトノベルの専門学校に入りました。当時の私にとって身近なものから選んだ進路でした。今にして思えば、結構リスキーな選択です。
専門学校の授業では、小説の先生によく怒られました。提出した作品をみんなの前で罵倒された時は本当に辛くて言葉を失いました。もちろん私も不出来でしたが、いま思い返すと、教え方にも非常に問題がありました。生徒の立場ではどうしても客観視が難しいですね。他の先生や大人にきちんと相談して、もっと別の視点を持つべきでした。
それでも、学校ではとても大きなものを学びました。物語には作り方がある、それは構造と意味をロジカルに計算して作られている、ということです。
就職活動では、新聞奨学生をしているという根性を買われて、中小企業でプログラマーになれました。そこで驚いたのが、様々なプログラムや製品も物語と同じような方法で作られる、ということでした。異世界の作り方は、そのままこの世界の作り方でもある《チートスキル》だったのです。
その発見を武器に、この世界を作る力をさらに身に付けようと苦闘するなかで、幸運にも数学と再会することができました。高校卒業以来遠ざかっていた数学でしたが、現実世界の中で強固なモノを作るためには必須の《神スキル》でした。スジを通すためには論理と集合が、未来を占うためには統計と確率が、美麗なビジュアルのためには三角関数が役立ちました。
そうして数学に触れるうちに、数学自体も、世界や思考を写し取った物語なのだと気づきました。数学は、人類の知り得るもっとも堅牢な言葉で書かれた物語です。最近話題のAIすら、その物語のほんの一節に過ぎません。
世界の作り方が分かっても、この世界がこれからどうなるかは、全然わかりません。
でも、どんな世界であれ、あなた自身の物語が力強く書かれるのなら、それは本当に素晴らしいことです。いま学んでいるものはすべて、あなたの物語の中での特別なスキルとなる可能性を秘めているのです。
NPO法人 数学カフェ
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