上間有剛 Yugo UEMA   八幡永遠 Towa YAWATA 眞喜屋仁 Jin MAKIYA 高校2 年。高校ディベート部。
2024 年九州地区中学・高校ディベート選手権4位 全国大会出場。

皆さんこんにちは。『ディベート部の眼』第17 弾です。今回は、ディベート部を含め7人の昭和薬科の高校生(と興南高8 名、石川高2 名)が参加した福島県のホープツーリズムモニターツアーで感じたことをディベート部の3名に座談会形式で振り返ってもらいました。本校では今年から「ふくしま学宿」と銘打って複合災害の被災地福島県を訪れ、日本社会の過去・現在・未来を考えるスタディツアーを実施します。ツアーに参加した高校生が何を感じ、何を考えたのか。ぜひご一読ください。



震災遺構 請戸小学校

福島第一原発を望む

全体の感想

ホープツーリズムモニターツアーに参加して、皆さんが新しく発見したことや、学んだことを一言ずつお願いします。

有剛(以下 有):もともとの福島のイメージは結構割と広い範囲が放射能に汚染されてて、広い範囲で立ち入れないみたいな場所だろうなって思ってたんですけど、その範囲がとても狭くなってきていて、いろんな場所で復興していたっていうのが、新しくわかったことです。

永遠(以下 永):自分は現地に行って「土地がとっても広いな」っていうことが第1印象でした。でも実際には僕が見たところは津波の被害でいろんな建物とか住居とかが流されてしまったっていうことを知って、複雑な気持ちになりました。

仁:福島県って聞いた時は「原発被害」っていうのが最初のイメージでした。今回、第一原子力発電所のが直視できるほど近くに行って、実際にガイガーカウンターで周辺の放射線を測定したんですけど、数値的にはとても低くて、今は放射線の影響があまりないんだなっていうのを実感しました。

1日目
司:ありがとうございます。では、行程を振り返ってみたいんだけど、初日に羽田空港から新幹線で福島に入って、バスに乗り換えて相馬市の伝承鎮魂祈念館に行ったよね。そこで何か印象に残ったことはありますか?

有:今ぱっと思い出したのは、祈念館の外に木があったんですけど、ガイドさんの話ではその上くらいまで津波が来たっておっしゃっていて、この木は自分の何倍もの高さがあったので、実際に目の前でその津波が来ることを想像したら、これはもう逃げられないな、っていう怖さを感じたのが印象的でした。

永:祈念館の語り部の方の話で、津波の時に地域の消防団地域の人が「津波だから逃げてください」ということを住民たちに警告しても、住民たちは「波引いてないから大丈夫でしょう」って余裕を見せていたということを聞いたときに、地域で生活の知恵的に伝わっている「こういうことがあったら津波が来るよ」みないな慣習は、逆に「そういうことがなければ津波来ないよね」、という思い込みを生み出して避難を遅れさせてしまったんだってことは結構考えさせられました。

司:たしかに未曽有の大災害では過去の経験が通用しないっていうことだね。じゃあ結局そういう時に備えてどうしたらいいんだろうね。
有:これは祈念館の後に行った防災備蓄倉庫も一つの答えかなと思っていて、そもそも地震とか津波とかに物理的に備えるっていうのは今後も大事だし、実際に耐震強度を上げた建造物とか防潮堤を高くするようなことがされているんだけど、それ自体はどこまで準備してもある程度限界があるかな、と感じてて、だったらその被害の次の被害を広げないっていうことが大事なんだっていうのがこの防災備蓄倉庫に行ってわかったことです。実際の被災経験を踏まえて、救助隊の到着とかインフラが復旧したりするまでに必要なものを準備する、しかも住民だけで数日きちんと生活できるようにしておくっていうのはとても大事だなと思いました。だから避難訓練だけじゃなくて、そういう被災後の生活訓練みたいなこともこれからは必要なんじゃないかな、と思いました。

仁:たしかに、倉庫自体が停電でシャッターが開かない場合に、消防車のホースとつないで発電できる仕組みを持っていたり、こんなことまで考えてるんだってびっくりしました。あと、とても勉強になったのが、こういう施設がその地域のためだけじゃなくて、日本中で連携したシステムになっているのに驚きました。結局どこかの地域が被災したときに、福島県でいうとたとえば山形県とか栃木県とか茨城県とか近隣の自治体の備蓄倉庫から物資を回せるように連携していて、日本は全国どこでも地震被害が起こりうるから、日本全体で備蓄するという発想は今回自分が学んだ大事なことかもしれません。

永:たしかに全国に備蓄倉庫の拠点をおいて、何か起きた時にそれを共有していこうっていうのは、これからはいろんな面で必要な考え方になる気がする。シェアリングってライドシェアとかハウスシェアとか広がってきているけど、行政の分野でも必要な考え方かもしれないと思います。

司:なるほど、わかりました。こうやって聞くと、初日からいろいろ考えさせられる体験だったな、と思いますね。じゃあ夜のことも聞いてみたいと思います。夜は松川浦で「復活の浜焼き」をいただいたけどどうだった?口にあったかな?そもそも、これまで浜焼きって食べたことあった?

有:いやあ、浜焼き初めてです。でも、めっちゃ美味しかった。で、思ったのが、浜焼きのガイドさんたちに串の刺し方を教えてもらって、自分たちでカレイとかイカとかを串に刺して焼いたんだけど、刺し方一つ一つにもちゃんと意味があって、適当に刺しているんじゃなくて、串が焦げない&串から身が落ちない、っていう工夫がまさに伝統の知恵っていう感じがしました。あれってたしか津波の前は普通に屋台とか出してやってたんですよね?で、震災でお店が被災したり、風評被害でお客さんが来なくて途絶えていたけど、あの大将の方がもう一回伝統を復活させたい、で再開し
たみたいな。これ自体は伝統文化をつなぐことになるから大事だけど、観光っていうことも考えると、高すぎるとお客さんが来なくな
るし、安すぎると浜焼き自体が継続できなくなるから、本当に難しいな、って思う。

司:そうだよね。昔みたいに海水浴でいつもお客さんがいるという状況では無いから、松川浦の人たちのためにもたくさんお客さんが戻ってくるといいね


2日目

司:では、2日目のことを思い出していきましょう。2日目はどこに行きましたか?
仁:午前中は、東日本大震災・原子力災害伝承館と震災遺構になっている請戸小学校、あと大平山霊園です。
有:最初に行った伝承館に展示されていたんだけど、震災の時にどこかの町の町長さんが書いたメモで、被害の様子とか、支援の様子とか復興の状況とか、急いで書いて殴り書きみたいになっているのがそのまま残されていて、そのメモを見るだけで必死になって仕事をしている様子が伝わってきて印象的だった。あとは、震災発生7分後から、時系列でいろんな自治体、警察消防の動きがまとめられているパネルがあって、それを見ていると各地でどんなことが起きていたか、どういう風に復旧、復興していったかがリアルに想像できて良かったです。

仁:それでいうと、自分は避難所でたぶん医療用か何かで使われていたようなホワイトボードの実物が印象的で、誰がここにいるか、
どんな症状か、誰が来ていないか、誰がどこに避難したか、ということが、わかった人からどんどん書き込まれている感じが当時の緊迫感を感じさせて印象的でした。

永:施設に入って最初に見た超大型のプロジェクションマッピングの演出の没入感がすごくて、最先端な感じがしました。あと、館内に展示されていた学校の黒板とか外に展示されていたつぶれた消防車とか、とにかく実物が多くあって、津波の威力とか被害の大きさがリアルに伝わってきて怖かったです。

仁:あと、最後のブースにまちづくりシミュレーターっていうのがあってやったんですけど、どの施設をどこに作るか、とか、必要な数とかいろいろ考えて町を作るんですけど、なかなか良いバランスの町づくりが難しくて、福島は今リアルにこの問題に取り組んでいるし、沖縄もどの地域にどんな施設がどのくらい足りないか、とかいろいろ考えることができて良かったです。

永:話が変わるんですけど、伝承館の後に行った請戸小学校は自分は今回のツアーで一番衝撃を受けた所で、津波で流されてきた大きな丸太がそのまま体育館の入口に挟まっていて、3・11から14年も経つけど本当にあの日のままっていう感じがしてとてもショックでした。でも、あの小学校もどんどん劣化していっていつまで残せるんだろうって考えるとこれからどうなるのか気になります。

仁:小学校でガイドさんが話していたんですけど、日頃からみんなで避難訓練をしていただけではなくて、あの日は津波が迫ってくる中で本来の避難ルートとは異なる裏山の近道を小学生が先生に伝えて、先生がそれを信じて全員を裏山を通って避難させたおかげで無事だったいう話を聞いて、普段の積み重ねが前提なんですけど、さらに臨機応変に判断することが本当に大事なんだってわかりました。

司:請戸小学校の全員生還は、知れば知るほどいろんなことを考えさせられるよね。僕はあの当時宮城県にいたけど、石巻市の大川小学校はこれとまったく逆で、多くの児童・教職員が犠牲になった場所だから、そこで何があったかを合わせて調べてみると、災害時にどういう対応・判断が必要なのか、とか普段から何をすべきなのかがもっとわかるかもしれない。ぜひ調べてごらんね。さあ、午後はどこへ行った?

有:中間貯蔵施設っていう除染された土壌の仮置き場を管理している所で説明を受けて、そのあと第一原発が見える高台から原発を見ました。そのあと、イチゴ農園に行ってイチゴ狩りもしました。

仁:中間貯蔵施設は視界に収まらないくらい広い場所っていうのにまずびっくりして、これだけの土が汚染されていたんだって実感できたのと、実際にそこで放射線量を機械で測ってもほとんど反応がなくて、しっかり管理されているんだなあって思いました。

司:これはまだ中間貯蔵だから最終的には最終処分場に移して処理することが決まっているんだけど、あと20年後くらいかな、どこが最終処分地を引き受けるか、その時にはまた苦しい選択を迫られることが出てくるかもしれないね。みんなが大人になる頃にはこれが日本中の関心事になっているかもしれない。その時にみんなはどういう判断をするだろうか、ぜひ考えてみて。さあ、中間貯蔵施設の後は東北一の面積をもつネクサスファーム大熊でイチゴ栽培工場見学とイチゴ狩り。

永:あのイチゴ農園は完全自動化されていて、誰が作っても同じように美味しいイチゴが作れるようになっているっていうのはすごいアイディアだと思ったし、そういう取り組みの一つ一つで地元の魅力を増やして復興に近づいていくのが良い考えだと思いました。

仁:従業員に外国人が多かったのも驚きました。これだけ美味しいイチゴを栽培して、会社としてもちゃんと成立しているけど、やっぱり地元の人がまだ戻ってきていないという話を聞いて、なんだか複雑な気持ちになりました。

有:たしかに一回避難で出て行った人たちって新しい場所で生活ができてしまっているから、もとの場所に仕事ができたからってすぐに戻れるわけじゃないよね。だからって何もしないのも絶対違うから、これは難しい。

司:避難した住民がいつか戻りたいと思った時にそこに働き口があるっていうのは本当に大切なことだよね。これは被災地だけの問題じゃなくて、たとえば地方から東京に大学進学しました、っていう場面でも事情は異なれど似たような状況があると思う。彼らが卒業後に沖縄に戻ってくるかどうか。産業がきちんとそこにあるって人口移動にとっては大切なことなんだと思う。そういう意味では福島県もあの沿岸部にどういう産業を生み出していくか、これは今後の大きな課題だね。

最終日

司:さあ、最終日。この日は福島県立ふたば未来高校との交流会でした。あそこは学校全体で探究をきわめている学校だけど、実際に生徒たちと関わってみてどうだった?有:感じたことが二つあって、一つが偏差値で測れるものとはぜんぜん違う頭の良さがあったということ。先生たちが付きっきりというわけではないのに、自分たちでどんどん相談していろいろ決めて、生徒が企業にかけあって資金を集めて電気モーターで走る車を数十万かけて作って、それで何かの大会で結果を出していたというのがちょっと自分たちの高校生活と違うなあとびっくりしたのと、もう一つがそういう生徒の活動を全面的にバックアップしようとするふたば未来っていう学校の支援体制。こういうのが当たり前みたいな雰囲気があって、すごいなと思いました。
永:ふたば未来は総合学科らしくて、普通科以外にも工業とか商業とか福祉とかがあって、いろんな先生がいて探究活動ができるのも強みだと感じました。
司:最後に、みんなは1月の探究旅行でも同じように福島を訪問すると思うけど、まだ行ったことのない同級生に何か伝えるとしたら?
永:自分はしっかり事前学習をした方が良いと思っていて、今行くと被災して少しずつ復興している現場は見れるけど、その前がどうだったかっていうのが想像もできないから、自分たちが訪問する場所で震災前にどういう生活が行われていたかは知っておくといいんじゃないかな、と思います。
有:自分は逆で、あまり身構えずに、福島で美味しいもの食べたいとかいろんなことやってみよう、っていうノリでいた方がいいかなと思っていて、テーマの中に重いものがたくさん含まれているし、正解もまだわからないことばかりだから、事前にいろいろ考えると他の行先に比べてハードルが上がってしまうのかな、と思います。
仁:どんなに事前に学習してもやっぱり現地で触れたり、見たり、聞いたりすると、必ず感じることがあるから、とにかく五感を使って福島を感じるのがいいと思いました。
司:福島には今回のツアーでは訪問できなかった場所がまだまだたくさんあるし、あの日以降人の数だけ悩みと苦しみがあって、その乗り越え方も様々だと思うから、みんなが大学生になっても社会人になっても、何度も足を運んで、その時々の課題を見つけてほしいし、その課題と向き合うことが結果として日本の希望を見つけることになるかもしれません。ぜひ折に触れて情報収集してみてください。