Ⅰ.はじめに

「ぼろは着てても こころの錦。」この歌が流行っているころ、沖縄県バレーボール協会は、みんなで日本一を目指していた。その結果、沖縄銀行男子バレー部は、全国制覇13連覇という偉業を成し遂げた。あの成功体験は私に勇気と希望を与えた。
私は「人のやれない ことをやれ~」とばかりに大学院に入学した。私の目標は、大学教員になること。それを両親に伝えても、誰に言って笑われた。しかし、他人は関係ない。自分は自分。自分の夢は、あきらめない限り、実現できると思った。

Ⅱ.アニメ「ムーミン」から学ぶもの

大学院の頃は、着るものもない。ボロボロだった。はきなれたジーンズは破れ、見るからに汚かった。そのとき支えたのがアニメ「ムーミン」だ。ムーミンは、「一見、かばに見えるけど、本当は、妖精だ」という言葉だ。その話を、熊本県菊池市在住「子どもの未来を考える会」(代表)渡辺万里子さんに話したところ、「ムーミンが妖精であることは常識ですよ」ときた。
万里子さんは、子どもたちの非認知能力を高めることを目標に、1級河川菊池川流域で社会活動を行っている。今年は、菊池公園を花いっぱいにして、「アサギマダラ」の蝶々を菊池市に飛ばす計画をたてている。いつもながらその活動姿勢には、頭がさがる。遊びは学びの原点だ。自立した学び手を育てるためにも遊びは不可欠だ。

Ⅲ.ハラリ『サピエンス全史』から読み解くもの

「ぼろは着てても こころの錦」と、ムーミンは「かばに見えるけど、本当は、妖精なんだ」という話は、ハラリ『サピエンス全史』の「認知革命論」で読み解くとおもしろい。ハラリは、人類は、主観としての認識だけでなく、他人も同じものを認識しているという認識が大切だと説く。すなわち、「虚構を共有する能力、すなわち、イメージの共有化」だ。
いま、ハラリの「認知革命論」で、不登校の生徒Aさんとその保護者Bさん、そして、その生徒を指導する先生や世間のCさんたちの問題を取り上げる。私、あなた、そして外の世界という3つの存在があるなかで、第1に、私(不登校のAさん)が世間や世界をどう見ているか、第2に、不登校をもつ親御さんが世間や世界をどう見ているか、第3に、私(不登校のAさん)があなた(不登校の親御さん)をどうみているか、という3つの関係だ。そこで、私とあなたと世間という3つの関係性で、お互いに「成功イメージを共有化」していく。
具体的には、「メタバース」である。学校に行かないことを嘆くよりも、学校にいかずともできることに目をむける。そこでは、「メタバース」と呼ばれるインターネット上での仮想空間がある。そこでは、姿かたちをアバターで動かし、実在するのは、その子どもたちの「声」だけである。
「声」だけで、空間を飛び越えて、コミュニケーションをとる。みんなでイメージを共有する中でうまれてくる総体が文化である。生まれたところや、目の色、体形などを気にせず、「声」や「生き方」など、メタバースを通して、やりとりする。その過程のなかで、新しい「成功イメージを共有化」する。ハラリが言うホモサピエンスだけが成し遂げられるもの、それが「成功イメージの共有化」だ。
私は、「メタバースを利活用した社会教育」で、沖縄から、そして、東海大学(教育開発研究センター)を通して、全国・全世界に、発信していきたいと思っている。

ハラリ『サピエンス全史文明の構造と人類の幸福』
(上)(下)河出文庫 2023年

儀間 敏彦(ぎま としひこ)
東海大学 教授 湘南キャンパス教育開発研究センター所属 那覇市出身

図2 ぎまとしひこのホームページ
https://richardgima.com/