内間早俊 UCHIMA Soshun
1982年生まれ。昭和薬科大学附属高等学校・中学校国語科教諭。進路指導部主任。中学ディベート部・高校ディベート部顧問。
2000年に昭和薬科大学附属高等学校を卒業後、琉球大学教育学部生涯教育課程日本語教育コース、琉球大学教育学研究科国語教育専修、東北大学大学院文学研究科博士後期課程を経て、東北学院中高、宮城学院女子大、東北外語観光専門学校、仙台ランゲージスクールなどで国語(現代文、古典)、日本語学(方言学・日本語文法論)、社会言語学、ビジネス日本語会話などの授業を担当し、2015年より現職。

皆さんこんにちは。≪ディベート部の眼≫第19弾です。この原稿提出日程が本校の定期試験と重なってしまい部員が執筆することが難しかったので、今回は顧問の方で誌面を繋いでいきます。今回のテーマは「ふくしま学宿」。前々回の第17弾では「福島県ホープツーリズムに学ぶ」と題してディベート部の高校2年生が福島県のホープツーリズムモニターツアーに参加した感想を書いてくれました。あのモニターツアーを経て、今年度学校としては初めてとなる福島県浜通り地域をめぐるスタディツアーを企画実施いたしました。沖縄に暮らしているとなかなか身近に感じにくい福島県ですが、皆さんはどのような印象を持っているでしょうか。ふくしま学宿の意義や目的についてもぜひ一緒に考えてもらえると嬉しいです。

高校1年生の大城さんが有志で参加したSDGsクエストみらい甲子園沖縄県大会に提案したプロジェクトの紹介です。
憚らずに言えば、ディベートは肯定か否定かの二者択一の議論ゲームですが、実社会ではその間にグラデーションのような多様な意見が横たわっているはずです。それらの意見をどのように集約し政策に反映するかが現実の意思決定プロセスであり、政治です。一方で、近年の政治離れや政治的無関心はグラデーションのような意見をさらに希薄化し、社会を二極化・分断しかねません。今回はディベートで培った思考力や課題解決力を発揮して若年世代の政治関心をどのように向上するか考えてくれました。
このプロジェクトがよりブラッシュアップされて、各地域、各学校で実際に広がっていくことを期待します。



ふくしま学宿とは

「ふくしま学宿」とは文字通り福島県をフィールドとして様々な学びを行うスタディツアーです。このツアーは私が所属する昭和薬科大学附属高等学校・中学校進路指導部が中心となって企画を立て、福島県観光物産交流協会の全面的な協力と近畿日本ツーリスト沖縄のバックアップを受けて実現しました。昨年度のモニターツアーを踏まえて、本校では次のような意義・目的を立てて企画立案をしました。

福島が経験した複合災害(地震、津波、原子力、風評など)からの復興は、単なる「過去の出来事」として終わっておらず、現在進行形で続いています。その中には、たとえば技術(ロボット)、環境(土の処分)、社会(メディア、健康)といった様々な分野で、「どちらの選択肢も正しいように見えるが、どちらかを選ばなければならない難しい問題(「トレードオフの関係」と言います)」がたくさんあります。
皆さんが近い将来出て行く社会はこのような難しい問題を実に多く抱えており、皆さんはいずれ社会のリーダーとして、それらの問題に対して何らかの意思決定を行う立場になります。
このような問題に正しく向き合うために、感情論ではなく、まずは事実を正しく知り、科学的なデータや知見に基づき、その上で関係する人々の感情を加味して意思決定するようにしてほしいと思います。
福島県は複合災害を引き金として、今後日本の全ての地域が直面するかもしれない多くの社会的な難問に向き合っている地域です。ここにはいろいろな思いを抱えながら、それでも前に進んでいこうとする人々がたくさんいます。ぜひ福島の現実を自分の目で確かめ、そこで暮らし、生きる人々の声に耳を傾けながら、皆さんの頭で様々なことを考えてほしいと思います。
(ふくしま学宿事前研修資料より。一部文言の加筆修正を行っています。)

今回の学宿に参加した生徒の内訳および日程は以下の通りです。

【参加者】中1:15名、中2:11名、中3:15名、引率2名。合計43名。
【日程】2025年11月21日(金)~23日(日)
【訪問先】福島県浜通り・中通り

実際に中学生が現地でどのようなことを学んだのか。今回はその一部を読者の皆さんに共有できればと思います。

①備えとはー被災者との対話、「奇跡」と呼ばれる小学校を訪問してー

今回の学宿では様々な立場の被災者の方からお話を伺うことができました。それぞれ異なる状況で被災した皆さんが口を揃えて話していたのは、「どこにいても、誰にでも起こる可能性があるのが災害だ」「まさかこんなことになるとは想像もしていなかった」ということです。その実体験はリアルな3・11とその後を私たちに教えてくれました。大災害に対する備えは何より一人一人がその意識をもって〈自助〉の心構えを持つことが必要であると学びました。また、今回私たちは震災遺構となった浪江町立請戸小学校を訪問しました。学校は海岸から300mの場所にあり、地震発生から約50分後には15Mを超す津波が直撃し甚大な被害を受けましたが、学校に残っていた児童82名全員が無事に避難して助かったことで「奇跡の学校」と呼ばれています。しかし、実際現地で学んでみると請戸小学校の生還は決して奇跡ではありませんでした。立地条件を考慮した避難経路を教員間できちんと共有できていたこと、全校生徒が毎日一緒に給食を食べていたことで学年が違っていても児童間の関係が構築されていたこと、阪神淡路大震災の教訓から保護者に引き渡すよりもとにかく全員で逃げることを優先したこと。請戸小学校の避難は普段の生活の積み重ねと、過去の経験に学び、備えていた〈共助〉の姿だったことがわかります。大地震の後の津波が迫りくる中、教員がパニックになって児童にうまく指示を出せなかったら、児童間で協力できる人間関係が形成されていなかったら、学校がいち早く責任から逃れようと迎えにきた保護者に引き渡していたら。どこか一つでも欠けていたら、犠牲者が出ていたかもしれません。請戸小学校のケースを学ぶと対比的に思い起こされるのが、宮城県石巻市の大川小学校です。ここでは、全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明になりました。その原因について、読売新聞(2011年6月13日)は「学校側が、具体的な避難場所を決めていなかったことや、教諭らの危機意識の薄さから避難が遅れ、さらに避難先の判断も誤るなど、様々な〈ミスの連鎖〉が悲劇を招いた。」と報じています。備えあれば憂いなし、と言いますが、どれだけ備えても憂いはあるのが実情です。請戸小学校の経験は、日頃から身近な人たちとコミュニケーションを図っておくことがいかに大切かを教えてくれました。

②福島は安全かー除染土壌の上に降り、東電職員と対話し、地元メディアに問うー

「福島」と聞いて安全性を心配される方の多くは放射能の影響を心配しているだろうと思います。実際に現地を回る中では、道路の入り口にバリケードが設置され、今なお立ち入りが制限されている場所が多数見受けられました。それでも実際には除染作業によって多くの地域が避難指示区域解除区域となっています 1 。
住民が故郷に戻ってこられるように進められてきた除染作業ですが、その過程で出た多くの除染土壌は2045年までに福島県外で最終処分することが法律で定められています。それまで、除染土壌は中間貯蔵施設に搬入され、広大な土地の地下に貯蔵されます。その量は1400万立方メートル(東京ドーム11杯分)に及び、いずれ県外で最終処分する量を減らすために減容したりこの土を再生利用したりする取り組みを行っているそうです。私たちも実際に帰還困難区域である中間貯蔵施設に立ち入り、除染土壌を埋蔵した土地に立ち、空間線量計を持って実際に測定させてもらいました。結果は0.2µSv/h。これは病院で胸部X線写真を撮ったときの300分の1の線量だそうです。
さらに、学宿では原発事故の当事者である東電職員と対話をすることができました。そこでは、かつての原発安全神話の背景や事故後の反省と教訓について学ぶだけでなく、未来への責任を果たすと誓うその姿に企業人としての覚悟を感じることができました。一方で、東電職員の方は決して口にしませんでしたが、東電職員の一人ひとりもまた被災者であり被害者であることを思うと、胸が締め付けられる思いがしました。このことに気づかせてくれたのは地元メディア「福島民報社」との対話でした。
地元紙の使命は「被災者が被災者に取材をし被災者に届けること」「東電職員もまた被災者」そう教えてくれました。また、メディアのあり方について、メディアは日常の中の「特異点」にニュースバリューを与え、そこを切り取って大きく報道するという問題点を教えてくれました。福島民報社は常日頃から事実を報道しているからこそ特異点に踊らされない報道が可能であることを知り、ニュースを見る目が変わりました。ニュースとしては華やかでないこと、住民が知りたくなかったことでも、メディアの責任として客観的な事実を伝える姿勢に徹することが、デマや噂や印象によって生じる風評被害を防ぐ最大の方法なのかもしれません。

③原発か再エネかートレードオフの関係を考えるー

原発事故を受けて再生可能エネルギーの推進が広がっています。福島県浜通りではかつて農地や山林だった場所を政府や企業が借り上げ広大な敷地のメガソーラーを設置していました。富岡町に設置されたメガソーラーは約40ha(東京ドーム8・5個分)の広さで1年間に一般家庭9100世帯分の電力を発電するそうです。化石燃料を使わず、放射性物質を扱わない安全な発電方法として町の新たな産業になっているそうです。
このようなメガソーラー施設は他にもたくさんあり、バスの車窓には一面メガソーラーのパネルが広がっていました。一方で、メガソーラーについては地域の景観を損ねたり、設置のために山林を伐採し生態系に悪影響を与えたり、いずれソーラーパネルが廃棄物として出てくるなどの課題を抱えていることも学びました。
コミュタン福島では、さまざまな環境問題について学び、沖縄はメガソーラーを設置すべきかどうか、というテーマで討議を行いました。火力発電がメインの沖縄だからこそクリーンで安全なエネルギーとしてメガソーラーを設置すべきという意見もあれば、景観を損ね自然環境破壊のリスクを考えると観光立県である沖縄にはデメリットが大きい、など多くの意見が出てきました。
メガソーラーをクリーンエネルギーととるか環境破壊や災害リスクととるか、経済的な利益を生むととるか地元住民の生活リスクを生むととるか、どちらの立場にも言い分があり、簡単な結論は出せません。
今回の学宿ではこのようなトレードオフの関係を随所で考えました。大災害時に津波に飲まれそうな人がいたら助けるべきか否か、医療従事者は病院から避難すべきか残って患者を守るべきか、震災の爪痕は地域に残すべきかなくすべきか、メディアは事実を報じるべきかニュースバリューを作るべきか、除染土壌の最終処分は引き受けるべきか否か、避難所のルールは公正であるべきか公平であるべきか、原発は再稼働すべきか否か。どれもすぐに答えが出るものではありません。しかし、これからの社会では誰かが考えなければいけない問題です。


おわりに

ふくしま学宿で学んだことはとても多く、参加者それぞれが何に関心をもったか、さまざまな問題を突きつけられどのように考えたか、いろいろな立場の人に対してどのような感情を抱いたか、それはわかりません。しかし、日本の高度経済成長の裏にはたしかに原発があったことを知り、3・11の前後でその評価が180度変わってしまったということを学びました。災害大国日本はこれからも重大な災害リスクを抱えていることを学びました。愛する人を守るために、日本を守るために尽力している大人がいることを学びました。日本国が何十年も先を見据えた技術革新に挑戦していることも目の当たりにしました。今の当たり前が未来においても当たり前ではないことを学びました。
これからの社会に対して私はどう関わっていくのか。この答えを自ら探し続けて日々成長していくのが生徒たちに課された使命であり、彼らがいずれ自分の正義に従って判断するために必要な知識と教養と勇気を少しでも身につけられるように伴走するのが私たち大人の役割だと思います。学宿最終日、福島から羽田に向かう最後の首都高から大都会の夜景に真っ白く突き刺さるスカイツリーを見て、「この電力は今どこから来ているんだろう」とつぶやいた中学生に私は学宿の大きな成果を感じました。