
内間早俊 UCHIMA Soshun
1982年生まれ。昭和薬科大学附属高等学校・中学校国語科教諭。進路指導部主任。中学ディベート部・高校ディベート部顧問。
2000年に昭和薬科大学附属高等学校を卒業後、琉球大学教育学部生涯教育課程日本語教育コース、琉球大学教育学研究科国語教育専修、東北大学大学院文学研究科博士後期課程を経て、東北学院中高、宮城学院女子大、東北外語観光専門学校、仙台ランゲージスクールなどで国語(現代文、古典)、日本語学(方言学・日本語文法論)、社会言語学、ビジネス日本語会話などの授業を担当し、2015年より現職。
皆さんこんにちは。この『ジュクタン』誌上で〈ディベート部の眼〉の連載が始まったのは4年前の2022年3月でした。そして気づけば今号で第20回という節目を迎えることができました。これまで部員たちが綴ってきた言葉、そして卒業していった先輩たちの想いが積み重なり、一つの節目を迎えられたことを、顧問としても嬉しく思います。同時にこの連載をこれまで多くの方に読んでいただき応援していただいたことに、厚く御礼申し上げます。 さて、今シーズンの「ディベート甲子園(第31回全国中学・高校ディベート選手権)」の論題も、今の日本社会が直面している課題を鋭く突くようなものでした。これから約半年間中高ディベート部はこの論題と真正面からぶつかっていきます。皆さんにもさらに応援していただけるように、今号では中高生がどのようなテーマでどのような議論を作っていくのか、一緒に考えながら読んでみてください。
「ディベート」って…
皆さんは「ディベート」と聞いて、どのようなイメージを持たれるでしょうか。「相手を言い負かす」「理屈っぽい言葉の応酬」「論破」……。しかし、私たちが取り組んでいる競技ディベートは少し違います。一つの社会問題に対し、あえて「是(賛成)」と「非(反対)」の立場に分かれ、証拠資料に基づき議論を組み立てる。それは、個人の「好き・嫌い」を超えて、社会を多角的に、そして客観的に見つめ直す知的訓練なのです。 今号では、この夏に中高生が挑む「第31回ディベート甲子園」の論題について紹介いたします。 中学論題 「日本は選挙の棄権に罰則を設けるべきである」。 高校論題 「日本は富裕税を導入すべきである」。 いずれも、新聞の社説やニュースで議論されている、正解のない問いです。中高生たちが、膨大な資料を読み込み、何百時間もかけて準備するこの議論の本質はどこにあるのでしょうか。読者の皆様がご家庭で、職場で誰かと話題にしてもらえるように、できるだけ分かりやすく、そのエッセンスをお伝えできれば幸いです。
【中学論題】「義務としての投票」が問いかける民主主義の質
さっそく中学論題から見ていきましょう。
論題:日本は選挙の棄権に罰則を設けるべきである。是か非か。 (※1回の棄権につき過料1万円を課す、白紙投票は棄権に含まない、等の付帯条件あり)
この論題の背景にあるのは、深刻な「若者の政治離れ」と「投票率の低下」です。直近の国政選挙の投票率を見てみると、令和6年の衆議院選挙では53・85%、令和4年の参議院選挙では52・05%。つまり、国民の約二人に一人は「選ぶこと」を放棄しているのが現状です。
肯定側の視点:民主主義の正当性を守る
賛成(肯定側)の立場からすれば、投票率の低下は民主主義の「正当性」を揺るがす危機と読み解くことができます。特定の組織票や、時間的に余裕のある高齢層の意見ばかりが反映され、現役世代や若者の声が届かない「シルバー民主主義」を打破するには、強制的にでも全員の意思を汲み取る必要があります。 オーストラリアなど、世界には実際に「投票義務制」を導入し、90%近い高い投票率を維持している国もあります。今回の論題では、1万円という過料(罰金)を設定することで、人々は「損をしないために」投票所へ向かう人が増えると考えられます。すると、今まで政治に関心がなかった層も「どうせ行くなら誰がマシか調べよう」と考えるようになり、結果として主権者教育が進むというわけです。
否定側の視点:「沈黙」もまた自由である
対する反対(否定側)は、憲法が保障する「自由権」を根拠に反論することが考えられます。投票は権利であって義務ではない。誰にも入れたくない、あるいは現在の政治にノーを突きつけるために「あえて行かない」という選択肢も、政治的意思表示の一つであるはずです。 また、罰則を設けたからといって、政治への理解が深まるとは限りません。「罰金を払いたくないから、適当に一番上の名前を書く」という無関心な一票が増えれば、かえって選挙の質が低下する恐れもあります。さらには、1万円という金額が生活困窮層にとって重い負担になるという公平性の問題や、病気や仕事でどうしても行けない人への免除規定をどう運用するかといった実務的な壁も立ちはだかります。 中学生が行う議論の本質は、「民主主義はコストを払ってでも守るべき義務なのか、それとも私たちが自発的に育むべき権利なのか」という点に集約されるのではないでしょうか。 次は、さらに専門的で複雑な議論が展開される高校論題(富裕税)について見ていきましょう。
【高校論題】「持てる者」への課税と社会の公平性
続いて、高校論題の解説に移ります。
論題:日本は富裕税を導入すべきである。是か非か。 (※日本に居住する個人の「純金融資産」のうち3000万円を超える部分に対し、年1%以上の国税を課す、という付帯条件があります)
「富裕税」という言葉を初めて聞く方も多いかもしれません。現在、日本の税制は主に「稼いだお金(所得)」にかかる所得税や、「使ったお金」にかかる消費税などで成り立っています。これに対し、富裕税は「すでに持っている資産」そのものに毎年課税するという仕組みです。 ここで重要なキーワードが付帯条件に書かれている「純金融資産」です。これは預貯金や株式、債券といったプラスの資産から、住宅ローンなどの負債を差し引いた、いわば「本当の持ち金」を指します。
肯定側の視点:深刻化する「格差」
肯定側の最大の武器は、拡大し続ける「資産格差」の是正になるでしょう。 現在の日本では、所得税の最高税率は45%と高いものの、株式売却益などの金融所得に対する税率は一律約20%に抑えられています。そのため、資産運用で巨額の利益を得る富裕層ほど、実質的な税負担率が低くなる「1億円の壁」という現象が指摘されています。 富裕税を導入することで、一部に滞留している膨大な資産を社会に還元させ、それを教育や福祉などの財源に充てることができます。財務省の資料(「令和7年度社会保障関係予算のポイント」)によれば、日本の社会保障費は高齢化に伴い膨張し続けており、新たな財源の確保は急務です。富裕税は、単なる金持ち叩きではなく、社会の持続可能性を高めるための「富の再分配」の強化と言えるでしょう。
否定側の視点:経済の活力を削ぎ、「資本」を逃がす恐れ
一方、否定側は経済への悪影響をデメリットとして挙げることが考えられます。特に懸念されるのは「資本逃避(キャピタル・フライト)」です。資産に毎年重い税金がかかるとなれば、富裕層は資産を海外へ移したり、自身が海外へ移住したりする動機が生まれます。フランスなど、かつて富裕税を導入していた国々が、この資本逃避による経済損失を理由に廃止した歴史もあります。 また、「二重課税」の懸念も拭えません。資産の元手となる所得にはすでに所得税が課されています。残ったお金(資産)に再び課税するのは、公平性を欠くという主張です。 さらに、実務上の困難もあります。株式や投資信託の価値は日々変動します。毎年、国民一人ひとりの複雑な金融資産を正確に把握し、評価し、徴税するコストは膨大であり、税務当局(国税庁など)の負担も無視できません。 この議論の核心は、「個人の財産権をどこまで制限し、社会全体の幸福(公益)のために供すべきか」という、資本主義社会におけるバランスではないでしょうか。
【財政の現実】1200兆円の借金と私たちの未来
中高それぞれの論題をあえて関連させて読み解くと、その背景に共通しているのは日本が抱える厳しい経済状況を未来に負の遺産として残してはいけないというメッセージのように見えてきます。 財務省が発表した「国債及び借入金現在高(令和7年12月末現在)」によれば、日本の「国の借金」は1200兆円に迫っており、今も増え続けています。この膨大な借金をどう返していくのか、あるいは社会保障をどう維持していくのか。「選挙の棄権に罰則」を設けて政治への関心を強制的に高めることも、「富裕税」によって新たな財源を求めることも、すべてはこの行き詰まった日本の経済状況を政治的に動かしていこうとする、切迫した思いなのかもしれません。 ディベート部の生徒たちは、こうした財務省の統計資料や、内閣府の経済白書、あるいは海外の先行事例を必死に読み込みます。 「1万円の過料は生活困窮層に酷ではないか?」 「3000万円以上の資産を持つ人は日本に何%いるのか?」 「海外に移住した人への課税はどうなるのか?」 こうした疑問の一つひとつを、確実な資料と論理で解き明かしていくプロセスこそが、彼らを自立した市民へと成長させてくれると信じています。
【結び】20号の節目に、対話の種をまく
今回の連載20回記念号では、中高の論題を駆け足で解説してきました。読者の皆様に感じていただきたかったのは、ディベートは決して「遠い世界の話」ではないということです。投票率の問題も、税金のあり方も、明日私たちの生活に直結する問題です。部員たちは、自分たちが生きる未来を、肯定・否定両方の立場から真剣にシミュレーションしているのです。ぜひ読者の皆さんも周りの人と話をしてみてださい。 連載20回。振り返れば、初期の頃に記事を書いてきた部員たちも、今や大学生となり、現在インターンをしながら実社会に近いところでさまざまな「議論」の渦中にいます。ディベートを通じて学んだ「多角的に物事を見る力」や「根拠を重んじる姿勢」は、どんな時代になっても、どんな職業に就いても、彼らを支える一生の財産になると確信しています。
生成AIが瞬時に答えを出す時代だからこそ、あえて立ち止まり、相反する意見の板挟みになりながら、自分の頭で「納得解」を探し続ける。そんな泥臭くも尊い中高生たちの挑戦を、この『ジュクタン』で見守っていただけたことは幸いです。 次の10年、20年。沖縄の地から、世界を舞台に議論を交わせる若者たちが育っていくことを願っています。 ご愛読ありがとうございました。これからも、ディベート部の熱い戦いにご注目ください!
参考資料
「第31回ディベート甲子園中学の部 論題解説」
https://nade.jp/wpcontent/uploads/2026/02/c378fbbcc847bb66272f2bef311126ba.pdf
「第31回ディベート甲子園高校の部 論題解説」
https://nade.jp/wpcontent/uploads/2026/02/fcbbd26ebc53343fa3fa1c4bf9b79332.pdf
選挙ドットコム https://go2senkyo.com/ 財務省「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高」
https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/gbb/202512.html
財務省「特集 令和7年度 社会保障関係予算のポイント」
https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202505/202505e.html
内閣府「令和7年度年次経済財政報告」(第1章 第3節)
https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je25/h01-03.html
国税不服審判所「公表裁決事例紹介(平18.5.29裁決)」
https://www.kfs.go.jp/service/JP/71/07/index.html
International IDEA「Compulsory Voting(投票義務制データベース)」※英文サイト
https://www.idea.int/data-tools/data/voter-turnout-database/compulsory-voting
Spaceship Earth「富裕税とは?日本でも再び採用される?メリット・デメリットも」 https://spaceshipearth.jp/wealth-tax/ アクタス税理士法人「海外勤務者の税務上の留意点」
https://canon.jp/biz/solution/smb/tips/trend/202207-zeimu1
朝日新聞(2026年1月1日)「 ( 社説)つなぐ 26 退潮する民主主義「分断の罠に陥らぬよう」
https://www.asahi.com/articles/DA3S16374476.html
読売新聞(2026年2月10日)「投票率56・26% 前回超え(衆院選速報)」
https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20260210-GYT1T00107/