玉城日華梨 Tamaki Hikari
昭和薬科大学附属高等学校2年。高校ディベート部。
第27回九州ディベート選手権準優勝。 第26回九州ディベート選手権ベスト4。 第26回全国ディベート選手権ベスト16。

昨年のディベート大会のテーマは「安楽死の是非」でした。 それまで自分の「命の終わり」について考えたことは ありませんでしたが、たしかに人生にはいつか終わりが来ます。 これは自然の摂理であり、現代の医療では避けることはできません。 今回は人生の最後をどう迎えるかということで 「安楽死」について書いてみようと思います。

避けられない「死」

「あらゆる人々は、ひたすら、死に向かって進んでいる。」これは、仏教の開祖、ブッダの言葉です。人間は、生物は、必ず死を迎える。とても当たり前のことだと思われるかもしれません。ですが、ほとんどの人は自分の死の瞬間を想像することはできないと思います。なぜなら、死は人生の中で一度きりの、最初にして最後の経験だからです。私たちが向かっていく終着点、いわばゴールである死の在り方については、よく考える必要があると思います。
現代では人生の最後を自宅ではなく病院で迎えることが多くなっています。そこで現代の医療について俯瞰してみましょう。

現代医療の限界と苦痛

今日では、医療技術の進歩により、様々な病気が治療できるようになっています。一方で「不治の病」は現在も存在しており、厚生労働省によると2022年現在338の指定難病があります。難病は、すぐに死に至ることはあまり多くはありませんが、有効な治療法が確立されていないなどの理由から、病を抱えたまま一生を生きていくことになります。また、日本人の死因の第一位であるガンも病状が進行して転移が起こったり、部位によっては治療による完治が望めないことがあります。その場合、余命の宣告を受け、残された人生をガンと向き合いながら過ごすことになります。
末期ガンを始め予後が悪い患者さんの病状が進行すると様々な苦痛が現れてくるといわれます。この苦痛は一般的には大きく4つに分類されます。
最初は「身体的苦痛」として痛みや倦怠感、呼吸困難などが現れます。こういった症状はやがて日常生活に支障をきたすようになります。今までできていたことができなくなることへの苛立ちや焦燥感、病気に対する不安感が「精神的苦痛」に繋がります。他にも、医療費など経済的な問題や家族間のトラブル等から生じる「社会的苦痛」、そして、生きることや死ぬことに対して思い悩んだり、病気になってしまった自分を責めてしまう「スピリチュアルな苦痛」が現れることがあります。こうした様々な苦痛は互いに関連し、影響しあって、それら全体が、全人的苦痛(トータルペイン)として、「痛い」という言葉となって表出されます。これらの苦痛は病気が進み、死が近づくにつれてより大きくなります。ですから、終末期の医療ではこの苦痛を緩和することが求められます。

緩和ケア 生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に同定し、適切な評価と治療によって、苦痛の予防と緩和を行うことで、QOL(Quality of Life:生活の質) を改善するアプローチです。

苦痛緩和

その苦痛緩和の方法として、WHOが定義する「緩和ケア」の考え方があります。
緩和ケアは全人的苦痛に対してアプローチするものですが、とくに精神的苦痛やスピリチュアルな苦痛に対しては緩和の方法がきちんと確立されていないと言われています。また、肉体的苦痛の緩和についても、日本では十分ではない面があります。実際、医療用麻薬の使用量は少なく、患者一人あたりの使用量は欧米のわずか10%前後に過ぎません。
十分に苦痛を緩和できているのか、という点に疑問符が残ります。その原因としては、緩和ケアに対する知識不足が言われています。知識が足りないために、苦痛緩和に必要な薬の量や、どういう状況で使用して良いかが、医療現場に浸透していないのです。また、緩和ケアや自然な死に対する理解不足も挙げられています。医療の使命は延命、救命である、という医師一人ひとりの根幹にある考えが、医師の緩和ケアに対する抵抗感や不信感を生んでいる可能性があります。
よって、現状の医療の中では患者の全人的苦痛を十分に緩和することは困難である、といえます。そんな中で、この苦痛を緩和する有効な方法であると言われているのが安楽死です。安楽死は、死を選択することで全ての苦痛から解放されることができるという考え方です。

日本における安楽死の法的解釈

では、日本では安楽死はどのように位置づけられているでしょうか。安楽死とひとまとめにされて言われることが多いですが、実は安楽死にはその方法によっていくつかに分けられます。

①積極的安楽死
致死量の薬物を医師が患者に投与することで、患者を死に至らせること。
②自殺幇助
医師が致死量の薬物を処方し、患者が自ら薬を投与することで死に至ること。
③消極的安楽死(尊厳死)
延命治療を行わずに痛み止めなど最低限の医療行為を行い、自然死を待つこと。

現在の日本では、積極的安楽死や自殺幇助など、意図的に死期を早める行為は、殺人罪が適用され違法であり、実施した医療機関や医師は罰せられます。また、消極的安楽死は、日本では法律などによって明確化されておらず、違法かどうかはっきりしていません。そのため現状日本の病人の方たちは、意図的に死期を早めることは出来ず、自然な死を待つことになっています。

安楽死と自己決定

安楽死については、国内でも賛否両論あります。 認めるべきであると主張する側は「自己決定権」という新しい人権を認めることを訴えます。日本国憲法第13条の幸福追求権を根拠として、自分の生き方や生活について、他者からの干渉を受けることなく自らの事について決定を下すことができる権利を指します。
安楽死はこの権利に基づき、自身の生き方、死に方を決める権利である、という考え方です。病気の回復の見込みがなく、苦痛はどんどん増して為す術もない、といった希望を持てない状況においては、自身の幸福のための選択肢の一つとして安楽死を求める患者もいます。
一方、安楽死反対側の主張としては、社会的な風潮として安楽死が正当化され病気になっても治療できない、死を待つだけという終末期においては、早く死ぬことが善であるという価値観が生まれてしまう可能性がある、ということが挙げられます。また、自身の命を自ら断つ選択をする、という「自身に対する殺人」的な行為を認めて良いのか、という倫理的な意見もあります。
ここで重要なのが、自己決定は各々の価値観によるもので他者からの干渉を受けないということです。自身の生き方、死に方に対する捉え方は個々人によって異なり、当然同じ病気になった時でも、安楽死をしたい、と思う人もいれば思わない人もいるのです。

<日本国憲法13条>
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

海外での安楽死

では海外ではどうでしょうか。海外ではベネルクス三国、スイス、米国オレゴン州以外にも、複数の国や地域が法律を制定したり、裁判等で法的に容認したりしています。スイスの例を紹介します。

スイスでは、刑法第115条で利己的な理由による自殺教唆・幇助罪を規定しており、これを根拠に利己的でない「自殺幇助」が合法とされています。一方で、第三者、例えば遺産の相続人や被扶養者などが金銭的理由などで自殺の幇助をした場合は違法とされています。スイスでは多くの自殺幇助団体が結成され、各団体ごとに以下のような要件が示されています。

・不治の病に罹患している。
・耐え難い障害や苦痛を抱えている。
・直接生死に関わる病気ではないが、治る見込みがなく、QOLの著しい低下が明らかに見込まれる疾患(認知症 や多発性硬化症など)である。
・未成年者、判断能力がない人、深刻な身体的苦痛のない精神病患者は除外される。

国内での安楽死

次に、過去に国内であった、安楽死に関する事例をいくつか見ていきます。

〇東海大学安楽死事件  一九九一年、多発性骨髄腫を患い、東海大学病院に入院していた患者が、医師の薬の投与により亡くなった事件です。この事件では、患者の息子が「楽にしてやってほしい」と強く訴えたために、医師が、安楽死を望んでいるという本人の意思の代弁であると解釈し、迷いながらも薬物を投与しました。これが積極的安楽死に該当するか、ということが裁判で争われました。結果、本件は殺人行為に当たるとされ、薬の投与に関わった医師は懲役刑を受けました。 この判決で示された、安楽死許容の要件は以下の通りです。

①耐え難い肉体的苦痛がある
②死期が迫っている
③苦痛を除去、緩和する方法がほかにない
④患者の明らかな意思表示がある

こうして、日本でも要件を満たす安楽死は認められる、とされましたが、実際には現在まで安楽死が認められた例はなく、許容要件が曖昧であるために殺人罪が適用されてしまいます。

〇ALS嘱託殺人事件

次に、二〇一九年に起きた事件についてみていきます。この事件では、京都在住の難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者に依頼され、患者宅で薬物による殺害を行ったとして、医師二人が逮捕、起訴されました。また、二人の医師は患者の主治医ではなく、SNSを通して知り合ったようです。この事件については現在判決が出ていません。これが、安楽死としての要件を満たすと認められれば、国内で初の安楽死事例となります。これから注目していく必要があるでしょう。

このように、国内での安楽死は実質的には違法であり、安楽死導入をするにしても法制化に伴う定義の明確化など、様々な課題があると言えます。

まとめ

さて、皆さんは安楽死についてどう感じたでしょうか?確かに、終末期、という状況はほとんどの方にとっては現在経験したことがなく、なかなか実感がわかないものだと思います。ですが、前述したとおり生命は有限で、人はいつか死にます。それは皆さんにもかならず訪れるもので、もちろん私にも、です。では、自分がもし病気になって、余命宣告されたら、どんな選択をしたいですか?様々な苦しみを抱えることになったら、それでもできるだけ長く生きたいと思いますか?もちろん、家族と、大切な人と1秒でも長くいたい、と延命治療を望む人はいると思います。ですが同時に苦しみから早く逃れたい、そんなに苦しい思いをするくらいなら死にたい、と思う人も一定数いると思います。

皆さんは、今後日本で安楽死を認めるべきだと思いますか?今回の記事を通して、日本での終末期医療の課題や安楽死について、皆さんが関心をもってくだされば幸いです。